とうとう別れがやってきました。
3月16日の朝、ベガ(♀)とガンバ(♂)が見つめていたその先で、カナエは静かに亡くなっていました。
近づいて顔を覗くと、安らかな顔で、まるで眠っているようでした。そんなカナエに私は、「長い間お疲れ様、ありがとう。」と声をかけました。
「出会い」
カナエは、1993年4月26日に多摩動物公園から来園しました。
その1ヶ月前に研修と視察を兼ねて多摩を訪れた時に紹介されました。まだ1歳3ヶ月の子供でしたが、大人の大きなキリンの間に割り込んで餌をガツガツと食べている逞しいキリンでした。
第一印象は「子供のくせに図々しいキリン」です。
「来園して」
無事に搬入が終わり、当園で飼育していたナガノ(♂・人工哺育)との生活が始まりました。
20数頭の群れから、相手がたった1頭のキリンになり寂しかったのでしょう、数ヶ月は落ち着かずに寝室内を歩き回っていました。
心配でしたが、餌だけはしっかりと食べていたので、慣れてくれるまで見守りました。
「本領発揮」
環境に慣れたのか、カナエらしさが徐々に出てきました。先輩飼育員から「キリンは臆病で神経質な動物、知らない人が寝室に来ると入舎しない。」と教わってきましたが、カナエは真逆で、人懐っこいし誰がキリン舎に来ても平常、驚きません。キリン舎の工事の時はさすがに驚くのではないかと特に心配しましたが。臆することなく工事の様子を見に行っていました。
私にとって、キリンという動物へのこれまでの印象や思い込みを変えてくれた存在でした。
「唯一の苦手」
何でもこなせてしまうカナエでしたが、悪天候(雨・雪)は大嫌いでした。
外に出てもらわないと寝室の掃除が出来ません。促しても出て行かずに何度も私と喧嘩しました(お互いに若かったので)。後々、お互いの性格が分かり、譲り合えるようになったと勝手に思っていますが、とにかく「嫌なことは嫌」と主張し、頑として譲らないところがありました。
「ナガノとの別れ、ヨウコウの来園」
そろそろ繁殖かと期待していた矢先、1996年7月にナガノが亡くなりました。キリンは群れでの生活が基本です。1頭だけの寂しい生活になりましたが、よく耐えてくれたと思います。
翌年6月20日に沖縄の動物園からヨウコウ(♂)が来園。待ちに待った相棒ができました。ただ、ヨウコウは生後8ヶ月でまだまだ子供、カナエとは5歳違い、年齢も背丈も凸凹のペア誕生です。
そんな2頭はとても相性が良く、カナエも相手を気にかけていましたが、むしろヨウコウのほうがカナエを大好きで、姿が見えないと落ち着かないこともありました。
「アミ誕生、母になる」
小さかったヨウコウも、いつしかカナエの背丈を超えて大人のキリンに成長しました。相性が良かったこともあり自然と妊娠、そして初の出産を迎えました。
普段は物事に対して動じないカナエが、朝から落ち着かない様子で寝室内を歩き回ります。
キリンの出産は私も初体験、緊張しながらその時を待ちます。そして午後3時ごろ出産が始まりました。順調に産み落とし、仔も自力で起立して授乳も確認できました。ベガの母、アミの誕生です。
とても疲れただろうに平然としているカナエ、母になってもその性格は変わっていませんでした。
「子育て」
7頭のキリンを出産したカナエの子育ては自由奔放でした。
通常、出産後は2日間程度、親子だけで寝室内で過ごします。仔はまだしっかり歩けませんし、母親の出産の疲れを回復させるためです。
しかしカナエは、翌日から外に出たがり、こちらに出してくれるよう要求してきます。寝室に居させることでストレスを感じるならよくありません。心配ですが扉を開けると、迷うことなくスーと出て行きます。仔は置いてけぼり。慌ててカナエの後を追います。まるで「ついてくるなら来なさい。」と言っているようでした。
授乳にも決まりがありました。生後1~2日は仔が欲しがるだけ乳を吸わせます。それ以降は仔が吸いたくても与えず、カナエが時間を決めていました。サインがあり、それは仔の尻尾を舐めたときでした。
たっぷりと愛情を注ぐのもカナエの特徴で、可愛がり方は仔の顔やたてがみを舐めたり齧ったり、かなりしつこくしてあげます。仔は気持ちが良いのでしょう、嫌がらずもっとやってというふうにカナエの顔を見上げていました。
「久しぶりのわがまま」
2012年5月9日、相棒のヨウコウが亡くなりました。
翌朝、通常通りにカナエを運動場に出そうとしたのですが、突然ヨウコウのいた寝室の前で動かなくなりました。声をかけても体を押しても頑として動きません。カナエが私の指示に反抗するのは記憶にないくらい久しぶりです。
「分かった、今日は好きなだけそこにいていいよ。」そう話して放っておきました。カナエは一日中ヨウコウの寝室を見つめていました。その姿を見て、キリン同士の繋がりの深さを知り、2頭がお互いに頼りあう存在だったんだと感じました。
「ガンバ来園、ベガ誕生、おばあちゃんになる」
2013年11月、ガンバが来園しました。初めての環境で慣れないこともあり、夕方入舎しない事が数回ありました。その度にカナエに「ちょっと頼むよ。」と協力してもらいました。一度入舎して、餌も食べて休んでいるところへの私の無理な要求ですが、スーと出て来てガンバを難なく誘導して入舎させてくれます。そして何事もなかったように自分の寝室に帰る。さすがです。どのキリンにもカナエ人気は相変わらずでした。
さて、ガンバが来てから私には一つの目標がありました。
「カナエに孫キリンを見せたい」これです。実現させるにはカナエの娘アミとガンバに頑張ってもらうしかありません。私の心配をよそに順調にアミが妊娠、2017年8月4日、無事にベガを出産しました。
当時、カナエはかつてヨウコウが使っていた離れの寝室に居ました。離れに移動した理由は、出産を控えて母屋が手狭になったことと、カナエも高齢でいつどうなるかわからない、いつもでもカナエ頼りのキリン達ではこれから先困るので、少し距離をおいて居ない事に慣れてもらいたいと思ったからです。離れからは母屋での様子は見えません。ベガが生まれていることもまだ知らないカナエでした。
アミ親子が初めて外に出ました。カナエとは初対面です。早速気がついて近寄っていき、顔や体を舐めまくっていました。そこにアミも加わりベガを可愛がります。とても良い光景でした。「カナエ」「アミ」「ベガ」、3世代のキリンが揃いました。
「ベガとの生活」
ベガが生まれたことで、「ガンバとアミがこれからのキリンの中心になっていける」と確信していた矢先、2018年1月29日、アミが亡くなりました。
隣室に父親のガンバがいるとはいえ、生後6ヶ月の幼いベガを広い寝室で一頭きりで飼育するのに不安を感じた私は、「こんな事情で、また頼むよ。」とカナエに告げ、アミが死んだ日から母屋にカナエを戻し、ベガと同居させました。何頭もの子育てを経験してきたカナエですから、心配はしていませんでした。期待通りたてがみ舐めや出入舎の時の誘導、餌の場所を教えてあげたりと世話をします。
カナエには失礼かもしれませんが、私にはベガを自分の仔よりも可愛がっていたようにも見えました。いつでも一緒に居て、そんな2頭の姿はまるで親子のようでした。
亡くなる前日も、苦しかったと思いますが、ベガのたてがみを舐めていた姿を思い出します。
「ベガとガンバは」
カナエがいなくなって、ベガとガンバへの影響を心配しましたが、2頭とも元気で食欲旺盛、いつも通りの生活を送っています。ベガは、1頭でも臆することなく外に出て、夕方はきちんと自分の部屋に戻ってきます。
ガンバは、もともと優しいキリンでしたが、更にベガのことを気にかけて体を舐めたりする姿が見られます。カナエが教えてきたことがしっかりと2頭に伝わっているようで、改めてその偉大さを実感しました。
「最後に」
物に動じず、誰にでも優しくキリンの中心的存在でした。色々と無理なお願いもしてきました。こちらの期待にいつも応えてくれたカナエ。勝手に名コンビだったななんて思っています。
「カナエちゃん」、26年間私はこう呼んでいました。本当にありがとう、そしてさようなら!
皆様には、永い間カナエを応援していただき感謝しております。
また、御花、写真、絵を頂きました。本当にありがとうございました。
ガンバとベガの飼育に全力を尽くしたいと思います。
長文失礼いたしました。
キリン飼育担当 A.N